神父というのはバカじゃないかと思うことが多々ありまして、その一つが、シスターだったらいいだろうという軽い判断だと思う。
終身独身制なので、奥さんが欲しいのかもしれないけど、フィリピンへ行ってお見合いやって、それを教会に連れてきてどうするの、というかね・・・ 確かに、海外ボランティアをやりたい方たちがいて、中には離婚しそうになるほどご主人と大喧嘩になったこともあり、家庭生活を破壊してまでやるようなことでないため、信者の代わりにシスターをあてがうというのは常識なのかもしれない。
だけど、フィリピンの修道院で集団お見合いやって、いきなり日本を旅行させて、そのシスターたちの旅費を教会に出させても平気だし、しかも大義名分で、チャリティの説明を教会でやってもらうためとか。
そのご奉仕の内容が、フィリピン政府がやっているプロジェクトで、マニラのスラムの子たちにFeedingをやっている。
最初、New Birdだったかな、そのプロジェクトの名前が。
だから、公園で鳥に餌をやっているのかと思ったら、そうではなくて、スラム子たちが食事の時間になると鳥のように集まってくるからやって名付けたみたい。実際に公園でやっているみたいだし。
餌やりとは訳せないから、給食、ということで。だけど、給食への支援だったら、以前から毎年5万円くらいやっていて、今更何をという気がした。青年部の若い女の子たちを手伝いに行かせようとしていたのかな。
だけど、皆、就活などで忙しいのに行けるわけがないし、それなら暇な主婦となったって、今、皆、仕事している人たちが多いし、それでシスターを連れてきたのかな。だったら、うちの教会へ説明しに来るシスターの分の宿泊代くらいは出したほうがいい、となる。
だけど、実際にはラブラブやって連れてきて、今度は観想のパートナーをさせるとか探すとか、シスターに教会の手伝いをさせるとか。
当たり前のようだけれども、集団お見合いの次には一緒に暮らせる修練所を建てて、次には夏季休暇には一緒にフィリピンに行って生活するとか? その費用まで教会に出させるのかな。どこが修練なんですか?って訊きたくなる。
神父とシスターが一緒に暮らして、そこで互いにパートナーらしいから、ラブラブやって、次には女子修道院で会いましょうとか? 酷いと、うちの教会みたいに私服のシスターたちが押し掛けてくるとかね。
修練所で静かに瞑想やっているはずが、シスターと一緒にやりましょうとかね。悪いことではないけど、そういう費用をなんで信者が出すんですか?
ボランティア悪魔の次には、瞑想悪魔とか、修練所悪魔とかね。
ネタは尽きない。
テトス 3. 8-11